飯田屋風(いいだやふう)は、 九谷焼 の中でも特に繊細で華麗な赤絵細描の画風として知られています。
その高い技術力と芸術性は、江戸時代後期から現代に至るまで多くファンに愛され、また九谷焼作家やコレクターにも高く評価されています。この画風は、飯田屋八郎右衛門によって完成され、九谷焼の伝統的な技法の一つとして深く根付いています。
飯田屋八郎右衛門は1804年に加賀国大聖寺で生まれ、代々染物上絵を家業としていた家に育ちました。しかし、その才能は陶画に向けられ、彼は宮本屋窯で修行を積み、 赤絵細描 という技法を確立しました。宮本屋窯は、江戸時代後期の天保年間(1830~1844)に開かれた窯であり、当時の九谷焼の中でも重要な役割を果たしていました。
飯田屋八郎右衛門は、古九谷の伝統を受け継ぎながらも、独自の工夫を加えて 赤絵細描 を完成させました。八郎右衛門は、従来の赤絵顔料を改良し、青・紫・黄・緑といった伝統的な色彩を使わずに、赤を主体とした繊細な描写を生み出しました。この技法は、飯田屋八郎右衛門の手によって「八郎手」として知られるようになり、九谷焼の中でも特異な存在として認識されています。
飯田屋風の技法は、赤を基調とした精密な描写と華やかな金彩を特徴としています。八郎右衛門の作品には、唐人物や花鳥、風景といったテーマが非常に細かく描かれており、その周囲には細かな小紋が配置されています。この繊細な描写は、見る者に深い印象を与え、作品全体に奥行きと豪華さをもたらしています。
飯田屋八郎右衛門が開発した赤の顔料は、独特の深みと光沢を持っており、他の九谷焼とは異なる風合いを生み出しています。この『赤』に加え、金彩を用いてさらに作品に立体感と華やかさを加えました。金彩は、赤絵の輪郭を強調し、作品により一層の豪華さを与えるだけでなく、視覚的な深みを生み出す重要な要素となっています。
この技法により、飯田屋風の作品はただの装飾品ではなく、芸術作品としての地位を確立しました。作品の一つ一つが緻密に計算されて制作されており、その技術は後世の陶工たちにも大きな影響を与えています。
飯田屋風の独特の「赤」は、現代においても多くの作家や窯元がその発色や質感にこだわりを持ち、それぞれの表現に合う「赤」を探し求め、作品の個性として表現されます。飯田屋風の作品は加賀の赤絵や能美の赤絵に継承され、その精巧さと美しさから国内外で高く評価され、多くのコレクターや愛好家に愛されています。
また、飯田屋風の技法は、伝統的な九谷焼の技法を学ぶ学生や陶工にとって、必須の技法となっています。
飯田屋風は、九谷焼の中でも重要な画風であり、その繊細さと豪華さが際立っています。この伝統的な技法は、飯田屋八郎右衛門によって築き上げられ、その後も多くの作家たちによって受け継がれています。現代においても、飯田屋風の作品はその高い芸術性と技術力によって多くの人々を魅了し続けており、九谷焼の伝統と革新を象徴する存在となっています。