庄三風は、 九谷焼 の中でも豪奢で精緻な彩色金襴手(さいしょくきんらんで)を特徴とする画風で、九谷庄三によって確立されました。江戸時代後期から明治時代にかけて、この画風は九谷焼の中核を成し、国内外で高い評価を受けてきました。その華麗さと技術力は、九谷焼の美学を象徴するものとして知られています。
九谷庄三(1816-1883)は、能美郡寺井村(現在の石川県能美市)に生まれ、幼少期から絵画や陶芸に秀でた才能を示しました。彼の芸術への道は、寺井村の十村役であった牧野家三代の孫七によって開かれ、若杉窯や小野窯での修行を経て技術を磨きました。
庄三が活動を始めた1841年、寺井村に自身の工房を開きました。ここで、伝統的な九谷焼の技法を受け継ぎつつも、洋絵具や新しい色彩表現を積極的に取り入れることで、独自のスタイルを確立しました。当時、九谷焼は産業としての発展を目指していた時期であり、庄三の革新的なアプローチは、九谷焼の再興と発展に大きく貢献しました。
庄三風の特徴は、色彩の豊かさと緻密な描写、そして豪華な金彩にあります。彼は、従来の赤絵細描に加え、洋絵具を用いて新たな色彩表現を探求しました。これにより、花鳥風月や山水、霊獣などのテーマを鮮やかに描き、作品に一貫した美的統一感をもたらしました。
庄三は、複数回の焼成を経て色彩と金彩を重ねる技法を駆使し、作品に深みと光沢を与えました。このプロセスには、高度な技術と熟練が必要であり、その結果、庄三風の作品は他の九谷焼とは一線を画すものとなっています。特に、金彩を効果的に使用することで、作品に立体感と豪華さが加わり、その華麗な仕上がりは見る者を圧倒します。
庄三風は、技法の多様性も大きな特徴の一つです。例えば、洋絵具を用いた微妙な色調の変化や、釉薬の使い分けによる色の発色コントロールなど、庄三はあらゆる技術を駆使して、作品に奥行きと複雑さをもたらしました。このような技術的な工夫は、庄三風が単なる伝統的な九谷焼の模倣ではなく、独自の芸術的価値を持つものであることを示しています。
明治期に入り、庄三風は国内外で高く評価され、日本の陶磁器輸出の重要な一翼を担いました。特に、欧米市場で「ジャパンクタニ」として人気を博し、その精緻な上絵付と華麗な彩色金襴手は、多くの外国人コレクターを魅了しました。この成功により、庄三風は九谷焼のスタイルとして確固たる地位を築きました。
現代においても、庄三風の技法や美学は多くの作家に受け継がれ、現代の九谷焼に新たな創造のインスピレーションを与え続けています。特に、その豊かな色彩と複雑な技法は、現代の作家たちが新しい作品を生み出す際の重要な基盤となっています。
庄三風の影響は、単に技術やデザインにとどまらず、九谷焼の芸術的な評価や市場での地位をも大きく押し上げました。庄三が確立した彩色金襴手の技法は、現在でも九谷焼の美しさと技術の粋を示すものとして、多くの人々に愛されています。
庄三風は、 九谷焼 の歴史において重要な役割を果たしたスタイルであり、その華麗な色彩と精緻な描写は、九谷焼の芸術的価値を高めるものとして評価されています。現在では庄三風の技法を操れる作家が非常に少なくなっており、その美しさと唯一無二の技術継承に不安を残しています。
庄三風の名品やその他の九谷焼の名品は能美市にある、KAM能美市九谷焼美術館で鑑賞することが出来ます。
大志窯がある九谷陶芸村のすぐ隣ですので、合わせて大志窯にも是非お越しください。